メンタルクリニックを受診して思うこと。

エッセイ

さぁ、支度して家を出るぞ

朝7時半起床、朝食をとり軽くシャワーを浴びて家を出た。

今日はメンタルクリニックに行く日。予約を午前にしてしまったことを今になって後悔した。

最近の精神状態や体調は安定しているものの、今日はどことなく体が重い。

シャワーも、全身浴びることができずひとまず頭だけ流した。

まだ4月だと言うのに、今日の最高気温は25度だという。

なんという暑さ。それに気づいたのは家を出た後だった。

いつも通りの長袖のTシャツと薄手の上着を羽織って来たため、汗が吹き出した。

道中、電車に揺られる

乗り換えはないものの、電車に乗らないとたどり着かない場所にあるのは少し骨が折れる。

今日は土曜日。

いつ働き出しても問題ないように(土日休みを仮定して)メンタルクリニックにはいつも土曜日を予約しているのだが、土曜日は電車が混んでいて息苦しい。

とはいえ、いつも通勤ラッシュを経験している社会人の前ではそんな弱音を吐く権利はないのだろうと思い言葉を飲み込んだ。

幸い朝の早い時間に家を出たため、電車は座ることができた。ラッキー。

先生はいつも優しい。

メンタルクリニックに到着し、いつも通りの診察が始まった。

「最近どうですか?」という先生の問いに、

「元気です」と私は答えた。

2週間ほど前に気分が一時期落ち込んだことも伝えたが、問題ないという言葉も添えておいた。

先生は優しい雰囲気のまま「お仕事の状況はどうですか?」と聞いてきた。

私はギクっとした。

私の中では、障害者手帳が手に入るまで仕事を探すのはお休みしようと決めていた。

しかしいざ、「仕事は探しているのか」といったニュアンスのことを聞かれると、

軽い罪悪感で胸がざわついた。

私は正直に、手帳が手に入ったら探すつもりですと答えた。

外(社会)に出るのが怖い

私の返答に、先生は穏やかに「わかりました、進展があったら教えてください」と言った。

わかってる、先生だって、私を急かしてそういったわけではない。

単純に、確認のために就労状況を聞いたのだろう。

私の周囲の人たちだって、私に対して「早く働いたら?」と言ってくる人はありがたいことにいないのだ。けれど、どうしても、言われなくとも、社会がそれを求めているのをひしひしと感じてしまう。

障害年金を受給する後ろめたさ、働いていない後ろめたさ、

そんなものを改めて感じる1日だった。

正午に差し掛かり、太陽の位置は高くなった。

気温は朝より高くなり、私の体から噴き出る汗は、冷や汗にも似ていた。

働くことに対する恐怖心はどうしても拭えない。

人に会うのが怖い、働くのが怖い、

極度のビビリになってしまったのかと思うほど、何に対しても怖くなってしまう。

働いて、お金がもらえるという喜びはわかっているつもりだが、

働き出せばまた体調を崩すのではないかと思うと、どうしても怖気付いてしまう。

障害者手帳が早くほしいと思う反面、手に入ったら働かなければならない事実が怖い。

自分のことを情けない人間だと思う。

どんだけ社会不適合者なんだって、自分に幻滅する。

考えすぎるのも良くないよね。

と、ここまでつらつらと書いてきたが、

私の、ある意味「楽観的」な性格が「まあなんとかなるだろう」とも囁いてくる。

ひとまず今は休むと自分で決めたのだ。

自分で自分を追い詰めてしまっては、この病気の思う壺だと思う。

せめて自分だけはいつでも味方であり続けなければ、

長い人生を全うできないだろう。

今日は土曜日、お休みの人も多い曜日なのだから、

私もゆっくり過ごそうと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました